日語(yǔ)散文朗讀3篇
文化不分國(guó)界,不分語(yǔ)言,那么日語(yǔ)散文你知道有多少呢?下面學(xué)習(xí)啦小編整理了日語(yǔ)散文朗讀,供你閱讀參考。
日語(yǔ)散文朗讀篇01
【幸せを見(jiàn)つけよう】
世の中には、小さいけれど価値のある「幸せ」というものが、たくさんある。それは、焼きたてのパンの香りや、コトコトいってる鍋の音、雨上がりの草のにおいや、理由の見(jiàn)當(dāng)たらない幸福感、といったもの。幸せの価値というのは、大きさの問(wèn)題ではない。だから、日常の小さなことに気づいていけば、幸せの數(shù)はどんどん増える。どうせなら「幸せ」は毎日、たくさん、あったほうがいい。だから、そのためにも、小さなことに目を向けて、自分の「幸せ」を見(jiàn)つけていこう。
【尋找幸福】
這個(gè)世上有很多“微不足道”的幸福。它可能是剛剛烤好的面包的撲鼻香味。也可能是從快要煮好的鍋里傳來(lái)的咕嘟咕嘟聲。也可能是春雨過(guò)后草地上飄來(lái)的清香。都是些找不到理由的小小的幸福感。幸福的價(jià)值并非用大小來(lái)衡量的。所以只要你留意生活中的幸福就會(huì)多起來(lái)。難道我們誰(shuí)會(huì)嫌幸福多嗎,所以主義身邊的一點(diǎn)點(diǎn)的小事,讓我們從那里尋找幸福吧
日語(yǔ)散文朗讀篇02
水田宗子(MizutaNoriko)
詩(shī)集に『春の終りに』、『幕間』、『炎える琥珀』、『帰路』、詩(shī)畫(huà)集『サンタバーバラの夏休み』、『アムステルダムの結(jié)婚式』、『青い藻の?!护胜嗓ⅳ搿V鴷?shū)『Realityand Fiction in Modern Japanese Literature』、『鏡の中の錯(cuò)亂――シルヴィア・プラス詩(shī)選』、『ヒロインからヒーローへ――女性の自我と表現(xiàn)』、『ことばが紡ぐ羽衣』、『二十世紀(jì)の女性表現(xiàn)』、『女性學(xué)との出會(huì)い』、『モダニズムと〈戦後女性詩(shī)〉の展開(kāi)』など多數(shù)。
深い眠りがあったら
深い眠りがあったら
目覚めてくるものがあろうに
季節(jié)が移れば
野の草も蕾を付けてくるように
列車(chē)に乗っているならば
後ろにおいていくものものに
別れの一瞥をなげかければいい
河の土手に立ちすくんでいた男
踏切で手をつないでいた幼い兄弟
すべては一瞬の決別
後ろに過(guò)ぎ去って行くスピードは
わたしの腳では
取り戻しに走れない
微睡んでいるのは
深い円筒の中
まわりながら
滑りながら
どこまで行っても不十分な
落下
底なしの誘惑
奈落まで落ちる覚悟でも
辿り著けない
傷口へ
目覚めが頼りの
願(yuàn)望
微睡んでいるのは谺の中
無(wú)すら反復(fù)する深い幻の谷間
霧の中から
還り続ける
音無(wú)しの音
過(guò)ぎ去らぬ時(shí)のエコー
詩(shī)は待っていてくれると
詩(shī)は待っていてくれると
T・S・エリオットは言った
魂は待っていてくれるだろうか
藪の中に潛んで
あるいは草原で寢転んで
わたしが追いつくのを
それとも
不意打ちをしてくれるだろうか
どこかで待ち伏せをして
辻斬りの腕でも試そうと
わたしも待っているのだろうか
こうして街を歩いていれば
あてどない放浪に似た
通過(guò)するばかりの
詩(shī)の中で
偶然出會(huì)うのではないか
向こうからこともなげに近づいてくる
見(jiàn)知らぬ國(guó)を通り過(guò)ぎていけば
突然背後から
呼び止められる
観光に訪れた
太古の廃墟で
地べたに座り込んでいるのではないか
わたしは見(jiàn)つめ続けてきた
爆発でできた宇宙が
ブラックホールに吸い込まれて
やがてすっかり消えてしまうように
わたしが記憶していた日々が
地の一點(diǎn)に吸い込まれていくのではと
それを見(jiàn)屆けようと
この庭に舞い上がる
木の葉や灰塵に預(yù)けられた
魂のようなものが
徐々に
飛び散っていくのを
どこまで追っても
その先まで行き著けない
行く先定まらぬ旅路の物語(yǔ)を
どこかで語(yǔ)る詩(shī)人が現(xiàn)れるのを
詩(shī)はほんとうに
待っていてくれるのだろうか
水田宗子簡(jiǎn)介(田原、毛乙馨 譯)
【作者簡(jiǎn)介】水田宗子(MizutaNoriko,1937—),著名詩(shī)人和女性學(xué)批評(píng)家。生于東京一個(gè)政治家庭,父親為引導(dǎo)日本經(jīng)濟(jì)騰飛連任數(shù)屆的財(cái)政部長(zhǎng)。美國(guó)耶魯大學(xué)博士。著有詩(shī)集《歸路》、《圣塔芭芭拉的暑假》等。以及評(píng)論集《從女主人公到英雄——女性的自我與表現(xiàn)》、《20世紀(jì)的女性表現(xiàn)——朝向性差異的外部》、《語(yǔ)言紡織羽衣——女性的行旅物語(yǔ)》以及數(shù)部英文專(zhuān)著等。曾先后獲得過(guò)瑞典駐東京大使館主辦的馬丁松國(guó)際詩(shī)歌獎(jiǎng)等?,F(xiàn)為日本城西大學(xué)理事長(zhǎng)。
如若沉睡
如若沉睡
總有什么會(huì)來(lái)喚醒
正如時(shí)光荏苒
野草也會(huì)長(zhǎng)出花蕾
如若搭乘列車(chē)
向車(chē)尾消逝的一切
投上離別的一瞥便已足夠
河堤上呆立不動(dòng)的男子
道口上牽著手年幼的兄弟
一切都是一瞬間的訣別
向后退去的速度
我的雙腳
無(wú)法挽回
假寐
是在深深的圓筒中
繞啊繞
滑啊滑
無(wú)論到哪里都無(wú)法令人滿意的
墜落
無(wú)底的誘惑
連一落到底的覺(jué)悟都
到達(dá)不了
向傷口
許下清醒借以仰仗的
愿望
假寐是在回聲中
連“無(wú)”都會(huì)反復(fù)的幻覺(jué)之深谷
從霧里
不斷還回的
無(wú)聲之聲
消不去的的時(shí)間回聲
如果詩(shī)會(huì)等待
T•S•艾略特說(shuō)過(guò)
詩(shī)歌會(huì)等我
那么,靈魂也會(huì)等我吧
藏于草叢
或臥躺草原
還是
突然襲擊
我的苦苦追尋
總之它潛伏在某處
等待著嘗試武士手腕的初斬
我好像也在等待吧
如果這樣走在街上
猶如毫無(wú)目的地流浪
在剛剛經(jīng)過(guò)的
詩(shī)歌中
難道不是有偶然遇見(jiàn)嗎?
從對(duì)面滿不在乎地靠近
如果穿越未知的國(guó)度
突然從背后
被人叫住
在旅行到訪過(guò)的
太古的廢墟上
難道不是席地而坐嗎?
我不停地凝視
因爆炸而形成的宇宙
被黑洞吸入
仿佛很快消失殆盡一樣
我記憶中的日子
也會(huì)被地上的某一點(diǎn)吸走
為見(jiàn)證這一切
寄存在花園里跳著舞的
樹(shù)木葉子和灰塵里的
靈魂般的東西
慢慢地
飛散開(kāi)去
無(wú)論追到哪里
再也捉不到
在某處講述流浪旅途故事的詩(shī)人
現(xiàn)身之際
詩(shī)歌真的
能等我嗎?
日語(yǔ)散文朗讀篇03
朝狂って
ぼくは誌を書(shū)く
第一行目を書(shū)く
彫刻刀が、朝狂って、立ちあがる
それがぼくの正義だ!
朝焼けや乳房が美しいとはかぎらない
美が第一とはかぎらない
全音楽はウソッぱちだ!
ああ なによりも、花という、花を閉鎖して、転落することだ!
一九六六年九月二十四日朝
ぼくは親しい友人に手紙を書(shū)いた
原罪について
完全犯罪と知識(shí)の絶滅法について
アア コレワ
なんという、薄紅色の掌にころがる水滴
珈琲皿に映ル乳房ョ!
転落デキナイョ!
剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!
燃焼
黃金の太刀が太陽(yáng)を直視する
ああ
恒星面を通過(guò)する梨の花!
風(fēng)吹く
アジアの一地帯
魂は車(chē)輪となって、雲(yún)の上を走っている
ぼくの意志
それは盲ることだ
太陽(yáng)とリンゴになることだ
似ることじゃない
乳房に、太陽(yáng)に、リンゴに、紙に、ペンに、インクに、夢(mèng)に!なることだ
凄い韻律になればいいのさ
今夜、きみ
スポーツ・カーに乗って
流星を正面から
顔に刺青できるか、きみは!
清晨發(fā)狂
我寫(xiě)詩(shī)
寫(xiě)下第一行
雕刀就發(fā)了狂,站立起來(lái)
那是我的正義!
朝霞和乳房未必很美
美也未必就是第一
所有的音樂(lè)都是胡扯
啊啊,最要緊的,是要讓所有的花都閉合,凋落!
一九六六年九月二十四日晨
我給好友寫(xiě)信
關(guān)于原罪
關(guān)于真正的犯罪和知識(shí)滅絕法
啊啊,這是什么
滾落到粉紅色手掌上的水滴
映在咖啡碟上的乳房喲
無(wú)法滾落!
在劍刃上呲呲奔跑,但世界會(huì)消失!
燃燒
黃金的長(zhǎng)刀直視著太陽(yáng)
啊啊
越過(guò)恒星面的梨花!
風(fēng)吹動(dòng)
亞洲的某一地帶
靈魂化作車(chē)輪在云上飛奔
我的意志
是盲目的
是要變成太陽(yáng)和蘋(píng)果的
不是相似
而是要變成乳房、太陽(yáng)、蘋(píng)果、
紙張、筆墨和夢(mèng)想!
總之變成絕妙的韻律就行
今夜,你
能駕駛賽車(chē)
讓流星從正面
在臉上刺青嗎?你!
看過(guò)“日語(yǔ)散文朗讀”的人還看了:
4.朗讀散文
日語(yǔ)散文朗讀3篇
下一篇:日語(yǔ)散文朗誦3篇